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うしろの正面だあれ

アニメーション映画

かよ子のページにようこそ。
私のアニメーションは1991年に出来ました。原作は大人になった私、海老名香葉子です。
私の生まれは東京の下町、本所堅川三丁目。現在の墨田区。やさしいお母さんとお父さん、三人の兄たち、そして、ちょっぴりこわいおばあさんたちに囲まれて育ちました。ところが10歳になったときにおそろしい東京大空襲があって・・・あとはぜひ、アニメーションをご覧くださいね!

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かよ子は明るくて人に好かれる子だから、大丈夫。

​かよ子のおかあさんの言葉

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作品の紹介

長編アニメーション映画「うしろの正面だあれ」90分 1991年公開。
〈声の出演〉
中根かよ子小/三輸勝恵、父・音吉/若本規夫、母・よし/池田昌子
長男・忠吉/海老名泰孝、次男・竹二郎/佐々木望、三男・喜三郎/野沢雅子、
弟・孝之輔/柳沢三千代、おばあちゃん/沼波輝枝

主題歌「愛はいつも」うた・白烏英美子

ものがたり
1940(昭和15)年、東京の下町本所堅川三丁目の路地には、子どもたちが遊び、物売りの声が行
き交います。つりざお職人「竿忠」の家には、江戸つ子の父ちゃん、働き者でやさしい母ちゃん、ちょつときびしいおばあちゃん、妹思いの三人のお兄ちゃん。そして、一年生になったばかりのかよちゃんの7人が、なかよく暮らしていました。
かよちゃんは泣き虫で、ときどきオネショの失敗もしますが、弟の孝ちゃんが生まれてからは、しつかりもののお姉ちゃんになりました。
 そして1941(昭16)年の12月。日本は太平洋戦争に突入。学校も子どもたちの遊びも、町の暮らしも戦争一色になりました。
1944(昭19)年になると、東京の空にも米軍の重爆撃機B29が現れるようになりました。かよちゃんは学校のすすめで空襲を避けて疎開をすることになり、ひとり沼津のおばさんの家にお世話になります。
 そして、1945(昭和20)年の3月9日の夜。沼津の山から真つ赤に染まった東京の空を目撃したかよちゃんは、家族の無事を必死に祈るのでした。

かいせつ
●1991年に製作公開されたこの作品は、下町のエッセイスト海老名香葉子さんが、少女の頃の痛恨の体験をつづつた本「うしろの正面だあれ」(金の星社)が原作です。
●かよちやんが生まれた本所堅川三丁目、現在の墨田区を舞台につりざお職人の質素ながらも温かい家庭と、下町の暮らし、子どもたちの遊びなどが、かよちゃんの成長とともに描かれています。
● そして戦争の時代。かよちゃんは1945(昭和20)年3月の東京大空襲の炎の中に、最愛の家族6人を奪われます。しかし、「かよこは、明るくて人に好かれる子だからだいじょうぶ。」という家族の言葉:を胸に、絶望と孤独の中から立ち上がってゆくシーンでエンディングを迎えます。
●戦争の悲惨さとともに、愛情こそが子どもの生きる力となることをあたたかく描いた作品です。
● アニメーションの制作は、練馬区富士見台にあった虫プロダクション。監督は、『つるにのつて』『えっちゃんのせんそう』『NAGASAKI1945アンゼラスの鐘』などの有原誠治。

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